ED一考2

4年前の自分の日記を取り出しつつ。

http://d.hatena.ne.jp/MP_KI-MO/20050530/p2

EDについてなんですけど、OPは作品を象徴するものであって欲しいと思うのですが、EDには色々と遊びの要素を取り入れても良いと思ってます。アニメの特集などあっても流れるのはOP。作品の大筋はOPにあると思ってますので。


とまぁこんなことを4年前に書いていたわけですが。それは4年経った今でもそんなに変わりません。が、思うところを何個か例を挙げつつ説明していきます。今までに言ってきたことをまとめてるだけです。


●例1.らき☆すた
EDで全力で遊んでた作品です。
・1〜12話:こなた達4人がカラオケボックスで歌った感じ。
・13話以降:白石稔が実写でアカペラを歌う。
・16話:三十路岬PV。


12話までは本当に良かった。こなた達の日常、という感じが出てて。


16話もとても良かった。本気で演歌PV作ろうとしたんだなと。


それ以外が激しく残念。白石稔に頼った手抜き作品。完成度が低すぎる。そのシュールさを楽しめというのなら別の所でやってくれ。そもそも、らっきー☆ちゃんねるで終わり間際に遊んでるんだから、遊びたいなら本気で遊ばないといけないのにクオリティが低過ぎる。見ながら不機嫌になってました。


スタジオ録音版とかはいい出来なんだけどなぁ…。


●例2.Kanon京アニ版)
僕が京アニ版Kanon派ではなく、東映Kanon派なのには2つ理由がありまして。


1つは主人公の声が私市淳氏じゃないこと。ドラマCD15枚を聞いて作り上げていたイメージに全然合わなかったから。実際、祐一は振り回され役だから、落ち着き過ぎたイメージの杉田智一よりも、ちょっと弱い感じを含んだ私市淳の方が合ってると思います。


話反れましたが、2つ目の理由は、EDが「風の辿り着く場所」であること。ドラマCDを聞いてごらんなさい。最後のヤマ場(真琴なら消える所、舞なら自殺しかけた所)で「Last regrets」が。エピローグの後「風の辿り着く場所」。あの80分は感動ものです。


それを毎週EDに風の辿り着く場所を聞くんじゃ感動も薄れます。あんなに何の憂いもない曲を毎週聴かされても。東映Kanonはボーカル曲の使い方が本当にキレイだった。


最終回のEDってのはホントに大切にして欲しいと思った作品。


●例3.サクラ大戦
アニソンじゃなくゲーソンですが、サクラ大戦のEDは曲の使い方が上手い。ゲーム本編中にいっつもED曲が流れてるんですよ。ただしそれはボーカルも乗ってない、アレンジも全く違う。どっちかと言えば日常シーンに流れるコミカルなBGMに仕上がっています。


それがEDになると激変するのですよ。ボーカルが乗って、アレンジが加わって。聞いたことのある曲なのに全く別物。BGMとEDとどっちがいいかという問題ではないですが、EDを聞いてると、プレイ全てが思い出させられる。そんなED。


●例4.CLANNAD
ED「だんご大家族」。ゲームやってから見てる人なら反応できる所でしょうが、そうじゃないと意味不明なED。特に序盤。


知ってる人はニヤリ、知らない人は意味不明ってのはアウトかと。知らない人にも普通と思えるくらいの曲であれば良いのですが。知らない人が普通と思って聞いてて、作品を見ていくうちに曲の持つ本当の意味が分かってきてニヤリ。そういうのは面白いと思います。


●例5.ゼーガペイン
そういう意味で「リトルグッバイ」。だんご大家族は個性が強すぎてアウトなのですが、これはいい意味で没個性。あー、普通。そう思って聞いてた前半戦。後半戦に入ってこの曲があんなに化けるとは思わなかった。世界観が見えて来た時、この曲は化けます。詳細書くのもどうかと思うので、興味のある人は頭から通して見て欲しい。



と印象に残ってる5作品を紹介してみました。


んで、今日見終わった化物語がどこに分類されるかと言いますと、主に例4か例5か。同時期に「宙のまにまに」という天文作品があったことや、PVが露骨に天文だったことから、星空を意識せずにはいられない曲に。全ては最終12話に集約されるんですが、ここまでに星の曲だということをアピールし過ぎました。台詞と歌詞が露骨にかぶり過ぎて面白みが薄いんです。


ゼーガペインは、作品が徐々にED曲に溶け込んできた感じ。
化物語は、ED曲が作品を塗り潰してしまった感じ(もしくは逆か)。


そういう意味で三角。


あまりに作品の台詞を具体的に取り出してしまうと、キャラクターソングっぽくなるんだなぁということに気付きました。「君の知らない物語」ってひたぎのキャラソンだね。